一宮シティホテル     
ICHINOMIYA CITY HOTEL
SINCE 1985  

 
一宮シティホテルの歩み

・中井 代次郎(現社長の母方祖父)
大正9年:花岡町(現一宮シティホテルの地)に移り、芸妓置屋を開く
大正14年:一宮市一級市会議員に当選(初代 日野市長)
昭和4年:一宮市会議員に当選(日野市長)
昭和8年:一宮市会議員に当選(二代目 小島市長)
昭和11年:一宮市会議員に当選(三代目 森市長)
昭和16年:没(享年73歳)

中井 代次郎


昭和12年の一宮市鳥観図(赤の矢印が現一宮シティホテル、その奥が花岡劇場)


古き良き花街、戦前の花岡町

・芸妓(げいぎ)と舞妓(まいこ)
芸妓とは、宴会で歌や踊りなどの芸を披露し、お客様を楽しませることを仕事とする女性のことです。舞妓として修業を積み、20歳以上の年齢や芸事が認められると芸妓になります。芸妓は、舞踊や三味線、唄など様々な芸を磨き、お客様をもてなします。
   昔懐かしい花岡の芸妓連 花岡劇場 

古くからある住宅地に交じり斯様な商売を行うものが続出し、ご多分に漏れず住民との間で環境等々、諸問題が勃発。大正8年4月18日に愛知県令第34号芸妓及び芸妓置屋取締規則が発布。芸娼妓置屋などが全て花岡町に移転。大正12年から昭和55年まで続いた一宮芸妓組合花岡検番を中心とした花柳新地が誕生。
  花岡芸妓 ・花柳新地

昭和14年刊「一宮市史」下巻・花柳界の章によると、市のメインストリートである本町通りから東方へ、福寿院の境内をつらぬき花岡町まで当時としては広い道が開通し、市内の芸妓置屋・料理店を結集して、大正12年(1923年)待望の花岡花街が大江川の東側に出現した。料亭75軒、芸妓置屋68軒、芸妓312人であった。川にかかるモダンな花岡橋は花街の入り口で、思案橋となり男女の影を水に落とした。南・東・北の三方を田んぼに囲まれた一大歓楽場の構えは、一見して遊廓そっくり、芸者街には見えなかった。
 
   花岡町通り

・中井 辰子(現社長の母方祖母)
終戦後:焼野原の中、一宮市が毛織物の一大生産地(ガチャマン景気)となり芳本旅館(現一宮シティホテルの地)を開業
昭和50年:芳本旅館を廃業
昭和53年:没(享年74歳) 
 
  芳本旅館廃業時 (現一宮シティホテルの地)


一宮シティホテル開業へ始動

1984年10月:(株)戸松カンパニー(創業者・代表取締役社長 戸松邦夫)が旧芳本旅館を買収(105坪)、解体へ   1984年11月:一宮シティホテル地鎮祭(1期工事)。現社長28歳

  旧芳本旅館買収、解体      一宮シティホテル(1期)地鎮祭 

1984年11月:一宮シティホテルの建築工事開始、鉄筋コンクリート6階建てを8か月の工期という異例の速さで進行
ホテル建築工事風景:1985年7月オープンをめどに急ピッチで進む4階の外枠まで完成
  ホテル建築工事・南側より     ホテル工事・南西側より

1985年2月:ホテル建築中に隣地の旧与太郎ビルを買収(ホテル工事の南側60坪)

  1985年3月:隣地の旧与太郎ビルを解体
  旧与太郎ビル買収・北側より       旧与太郎ビル解体・北側より  

ホテル建築工事風景:
6階の外枠まで完成、当時の自動車の古さがうかがえる
1985年7月:一宮シティホテル竣工式(左、江﨑鐵麿元衆議院員、元内閣府特命大臣挨拶、隣が現社長28歳)
当時の自動車の古さが窺える・南西側より     一宮シティホテル竣工式

1985年7月:(株)戸松カンパニーが西尾張地区初の本格的ホテルとして一宮シティホテルを開業。地上6階、総客室数34室、ラウンジレストラン「ハーベスト」付帯今となっては小規模ではあるが、当時としてはビジネスホテル自体がなく、またこの地区には無休で常設営業しているレストランはなかった      
   西側正面    北西側   南西側 
  一宮シティホテル1期オープン(外観)
当時ラスタータイル総張りは最上級の外装とされていた    
  すでに南側に2期、3期増築工事ができる設計であった 

 ホテル内装     
ラウンジレストラン ハーベスト:朝昼晩無休で飲食を提供・当初は絨毯張りであった    ロビー北側より:エレベータ前には衝立があり、南側に駐車場も見える    フロント南側より:まだ内装はかなりシンプルであった。正面扉はハーベスト入口で鉄扉であった

   
ロビー東側より:床は絨毯でこじんまりとした、たたずまい   客室シングル:当時10㎡が主流の中でシングルが13㎡から15㎡と格段と広く、ベッドもダブルかセミダブルを採用、ユニットバスも1216という3つ星ホテルの企画同等を採用、この広さが後に成功の基盤となる。現在も一宮、稲沢、岩倉地区においてはシングル最大の広さを誇っている。   客室デラックスツイン:28㎡という企画外の広さを誇り、4ベッドまで利用できる。現在でもこの広さの客室は、西尾張地区ではない。 


一宮シティホテル二期工事着工
1986年4月:一宮シティホテル2期工事開始・客室20室増室    
  駐車場及び南側側面を解体    1階部分の立上げ    2階部分の立上げ  

1987年1月:2期工事完成、1階は駐車場として使用していた  
  西側より:6階まで立上がってきた   南西側より:まだ南側隣地の民家
は買収できていない状態  
南東側より:現在手前の古民家は存在しない  
客室は、15㎡と西尾張最大を誇った。すべてダブルベッド導入し、ユニットバスもタイル張り、空調も個別空調とし冷暖房が快適になった      
 ラウンジレストラン ハーベストも木床張りにし家具も一部入れ替え、客席数を拡大


    ロビー拡張・メインバー ザ・ウィンザー開店
1988年11月:2期工事の1階部分をロビー拡張とメインバーザ・ウィンザーをオープン       

メインバー ザ・ウィンザーは、カウンターのみ10席

  


一宮シティホテル三期工事着工


           
           
           
           


           
           
           
           

           
           
           
           

           
           
           
           

 海部俊樹 内閣総理大臣より祝いの書を頂く        67代、77代総理在任1989年8月10日~1991年11月15日








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